僕と男子クラス エッセイ第二章
こんにちはゆうへゐです!
今回はエッセイ第二章ということで、テーマは男子クラスです。
僕と男子クラス
僕がぼっちとなった理由の重要な要因の一つが男子クラスである。
僕が高校一年生の頃は、8クラスの中で2クラスの男子クラスがあった。
現在僕は高校三年生であるが、この制度は今年度より廃止となった。
本題に戻るが、僕は入学の初っ端から男子クラスになった。
正直とても居心地がよかった。
それ以前の僕は一人ではいけないと思っていた。
ぼっちは恥ずかしいし、からかわれると思っていたからだ。
しかし男子クラスはそうではなかった。
ボッチ飯がほとんどで、まわりもボッチ状態なので他人の目が気にならなかった。
この僕の平和が後のぼっち生活の引き金となる。
僕はこの高校生活一年目にして、これまで培ってきたコミュニケーション能力のほとんどを失ってしまったのだ。
これには自分でも驚いた。
中学校の頃とは違い、女性と目を合わせて話すことができないのだ。
それも厄介なことに一対一の時のみ…
男友達といる時は平気であった。
ちなみに今となってやっと少し仲良くなれば普通に話せるようになってきた。
しかし中学時代に比べるとコミュニケーション能力はとても高いとは言えない。
そんな僕だが、男子クラスには感謝している。
男子クラスこそが僕にひとりの時間の楽しさを教えてくれたからだ。
ひとりの時間は寂しく、かわいそうだ。
そう思っていた僕にとって意外にもひとりの時間はとても有意義なものだった。
いままで他人の目を気にして他人のための人生を歩んできていたと気づけた。
これはあくまで僕の経験上の話だが、これに気づけるのとそうではないのとは大きな差がある。
自分のために時間を使えるのは本当に素晴らしい。
多くの人は自分の保護のため、友人や先輩などのために時間を使っている。
これは大人になり会社に勤めたときには半強制的にせざる負えなくなる。
つまり学生の時のみ許されるのがひとり時間だ。
だから僕はこの生活に後悔や不満を持っていない。
しかし、友達をたくさん作ったり、コミュニケーション能力を培うのは間違っているとは思わない。
むしろ出来るならそうしたほうが良いとも思う。
僕が言いたいのは無理をしてはいけないということ。
誰だってどんなに頑張っても、無理をすれば壊れてしまう。他人のために自分を壊してしまうくらいなら、いっそ全部放り投げてしまえばいい。
どうかこれを読んでいる方にも他人の人生ではなく、自分の生きた人生を歩んでほしい。